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印刷ではありません。小川芋銭 Ogawa Usen慶応4年(1868)~昭和13年(1938)江戸赤坂溜池の牛久藩邸内に、父、同藩大目付小川伝右衛門賢勝、母、首藤氏栄の長男として生まれる。幼名、不動太郎、後、茂吉。俳号、牛里。明治 4年 (1871)、廃藩置県により、一家は旧藩地新治県河内郡城中村(牛久市城中町)に移住、農業を営む。明治13年 (1880)、 東京府芝区立桜田小学の小学尋常科第三級後期を卒業。明治14年(1881)、本多錦吉郎の画塾「彰技堂」に入り、明治18年 5月までの4年間、洋画を学ぶ。明治23年(1890)、この頃より「芋銭」の号を使用。明治36年(1903)、『読売新聞』の懸賞絵画に「新年の意」が第一等当選、元旦の同紙面を飾る。以後、同紙に大正12年1月まで多くの挿絵を描く。明治37年(1904)、幸徳秋水、堺利彦の発行する『週刊平民新聞』第34号に、「枯川先生今日獄を出づると聞き」と題し短歌3首と、『秋水先生の病を訪ふ」と題し短歌1首を発表。翌38年9月の廃刊まで同紙に多くの俳句を発表し、また挿絵を描く。明治43年(1910)、東京毎日新聞紙上に描いた「人日」で初めて「芋銭子」の号を用いる。同年、『ホトトギス』第13巻第8号に、初めて挿絵を描き、以後没年まで同誌に関わる。明治44年(1911)、横山大観を訪ねる。大正 4年(1915)、小川千甕、川端龍子、鶴田吾郎、名取春仙、山村耕花、平福百穂らと絵画団体「珊瑚会」(大正13年の第10回展まで開催)が結成。大正 6年 (1917)、第三回珊瑚会展(白木屋呉服店)に「水郷二題」〈冬〉、「肉案」、「雲影」を出品。小杉未醒、横山大観に賞賛され、それを契機に日本美術院同人に推挙される。昭和10年(1935)、新帝国美術院展の参与に推挙される(翌年辞退する)。昭和12年(1937)、再興第24回日本美術院展に「湖上迷樹」を出品。「河童に寄せる小川芋銭先生の個人展」を大阪阪急百貨店で開催する。牛久の自宅に画室「雲魚亭」新築。昭和13年(1938)、71歳で死去。牛久の得月院に葬送される。石倉翆葉(いしくらすいよう1875-1938)大正から昭和にかけての俳人。尾崎紅葉門。号、花笠庵
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小川芋銭 Ogawa Usen
慶応4年(1868)~昭和13年(1938)
江戸赤坂溜池の牛久藩邸内に、父、同藩大目付小川伝右衛門賢勝、母、首藤氏栄の長男として生まれる。幼名、不動太郎、後、茂吉。俳号、牛里。明治 4年 (1871)、廃藩置県により、一家は旧藩地新治県河内郡城中村(牛久市城中町)に移住、農業を営む。明治13年 (1880)、 東京府芝区立桜田小学の小学尋常科第三級後期を卒業。明治14年(1881)、本多錦吉郎の画塾「彰技堂」に入り、明治18年 5月までの4年間、洋画を学ぶ。明治23年(1890)、この頃より「芋銭」の号を使用。明治36年(1903)、『読売新聞』の懸賞絵画に「新年の意」が第一等当選、元旦の同紙面を飾る。以後、同紙に大正12年1月まで多くの挿絵を描く。明治37年(1904)、幸徳秋水、堺利彦の発行する『週刊平民新聞』第34号に、「枯川先生今日獄を出づると聞き」と題し短歌3首と、『秋水先生の病を訪ふ」と題し短歌1首を発表。翌38年9月の廃刊まで同紙に多くの俳句を発表し、また挿絵を描く。明治43年(1910)、東京毎日新聞紙上に描いた「人日」で初めて「芋銭子」の号を用いる。同年、『ホトトギス』第13巻第8号に、初めて挿絵を描き、以後没年まで同誌に関わる。明治44年(1911)、横山大観を訪ねる。大正 4年(1915)、小川千甕、川端龍子、鶴田吾郎、名取春仙、山村耕花、平福百穂らと絵画団体「珊瑚会」(大正13年の第10回展まで開催)が結成。大正 6年 (1917)、第三回珊瑚会展(白木屋呉服店)に「水郷二題」〈冬〉、「肉案」、「雲影」を出品。小杉未醒、横山大観に賞賛され、それを契機に日本美術院同人に推挙される。昭和10年(1935)、新帝国美術院展の参与に推挙される(翌年辞退する)。昭和12年(1937)、再興第24回日本美術院展に「湖上迷樹」を出品。「河童に寄せる小川芋銭先生の個人展」を大阪阪急百貨店で開催する。牛久の自宅に画室「雲魚亭」新築。昭和13年(1938)、71歳で死去。牛久の得月院に葬送される。
石倉翆葉(いしくらすいよう1875-1938)
大正から昭和にかけての俳人。尾崎紅葉門。号、花笠庵
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